ベッティングの秘訣はプラスの期待値を確保し、安定して利益を上げることに尽きます。そうする過程でベッターは、ランダム性や運がイベントの結果に与える影響を検討しなければなりません。この記事では、稼げるベッターになるためのカギは運なのか、技術なのかという命題について検討していきます。詳しくは続きをお読みください。
Joseph Buchdahl著『Squares & Sharps, Suckers & Sharks(邦訳未出版)』の目的は、「人よりも稼いでいるベッター」は存在するのか、だとしたらそれは何故なのかという疑問を調査することでした。
運と、技術のパラドックス
ベッティング市場で起きることの大半
一般的には得点が入りにくく、参加プレイヤー数が多いスポーツほど、運の果たす役割は大きくなります。
予想ビジネスの世界では、ベッターが予想技術を磨き上げ、激しくしのぎを削るようになると、全体的なスキルは大幅に底上げされるでしょうが、相対的には多くのベッターが横並びの状態になります。
絶対的な予想スキルが進化していけば、その一方で上位と下位の差も縮まります。なぜならベッティングは技術と運のゲームであるため、相対的な技術差がなくなれば、結果的に運の影響が大きくなってしまうのです。ベッティングのコスト(ブックメーカーのマージン)を考慮に入れた場合、多くのベッターが長期的には赤字に終わってしまうことでしょう。
ベッティングロボット対運
サッカーの予想サービスBotprediction.comでは、ベッティングのランダム性を検証するにあたって便利な手法を取り入れています。同サイトでは40,000個のサッカー予想ロボットを巨大なベッターグループに見立て、合計ゴール数のベッティング市場で同時に稼働させているのです。
「統計的に見ると、こうしたグループ内には常に大勝ちする者と、大負けする者が存在します。弊社の予想ソフトなら、勝率70%以上の選ばれし勝者たちを追っていくことが可能です」
今から2年前、私はこうしたロボットの5週間の成績分布の分析を敢行しました。それが以下の図です。
こうしたロボットの予想は本質的には、ランダムなコイン投げと変わりません。成績優秀なロボットを選び抜くことができ、かつ、そのロボットが将来的にも同じように勝ち続けると考えることは、あまりにも馬鹿げています。ある5週間と、次の5週間の成績との間には、何の一貫性も見られません。ロボットの勝率が平均へと回帰しているにすぎません。すべては純粋に運がもたらした結果なのです。
生身の人間対運
もちろん、ロボットがベット対象を無作為に選んでいるだけなら、こうした発見はさほど意外でもありません。では、ロボットを人間に置き換えてみましょう。人間はランダムには選択しない以上、当然違いが生じるはずです。
上記の分析に加えて、スポーツベッティングコミュニティPyckio.comへ予想を投稿した、巨大なベッターのサンプル群(計6044人、総予想数1,073,029個)の分析も行いました。ベッティングの結果をピナクルのオッズに基づく市場の期待値と比較する統計的手法、Tスコアを使って、これらのサンプルの成績を分析したところ、以下のような分布になりました。
これはベッティングの成績で見られる、典型的な分布です。すなわち、これらの結果の大部分がランダムに起きているという、確かな兆候と言えます。もちろん、ベッターの優劣はありますが、こうした分布は、彼らにコイン投げの予想をさせた場合に見られるであろう分布と酷似しています。仮に全員が洗練された、自慢の予想アプローチを使っていたとしても、です。
熟練のポーカープレイヤーでも、(1週間に40時間、2年間プレイした場合)10万個ものハンドを作ったあとで負けることがあります。
ここで分析したベッターの大半は、上手いか下手かではなく、単に運がよかったか悪かったかだけの話なのです。さらなる検証として、1000回以上の予想を投稿した249人のベッターの成績を前半と後半の2つに分け、相関性を確かめることにしました。
仮に運を超える技術を持ったベッターがいるなら、その成績には一貫性があって然るべきです。つまり、スキルの高いベッターが最初の500回のベットで、Tスコアで「3」を獲得したなら、次の500回のベットでも「3」付近の数字に収まるはずです。これらの相関性は以下のように示されます。
「R2が0.0019である」とは、こうした249人のベッターの後半500回の成績の偏差のうち、前半の成績の偏差によって説明可能なのは、わずか0.19%であることを意味します。裏を返せば、それ以外のすべては運で説明がつくということです。これらのベッターは全体的に一貫したパフォーマンスを見せてはおらず、
運と技術の連続性
Michael Mauboussinはその著書『The Success Equation: Untangling Skill and Luck in Business, Sports, and Investing』(邦訳未出版)の中で、様々な活動の
一般的には得点が入りにくく、参加プレイヤー数が多いスポーツほど、運の果たす役割は大きくなります。ギャンブルはどうでしょうか?Mauboussinは、投資やギャンブル、ポーカーといったものを、純粋なスキルよりも運が求められるポジションに置いています。上の図で示したベッターの成績分布からも、氏の判断は適切に思われます。
スキル環境
専門知識やスキルの獲得は一般的に、「自然主義的意思決定」と呼ばれるフレームワークに沿って行われます。これはデータの塊やパターンがまず記憶され、長期的な実践や復習を通じて、定期的に呼び起こされる状況を指します。こうしたフレームワークが有効となるには、予測可能なほど規則的かつ安定的な環境であることが必要です。原因と結果が有意に結びつかなければなりません。チェスやテニスを学んでいく過程は、
運が支配する環境下で勝負する際は、結果そのものではなく、自身の判断プロセスに集中することが大切です。
ベッティングの世界で予想スキルを磨いていくことの問題は、そうすることが必ずしも報われないという事実でしょう。スポーツの予想に多くの時間と労力を費やすほど、技術が上達していくのは本当かもしれません。しかし、スポーツベッティングの「巧さ」とは、単に勝者を選べるかという問題ではなく、むしろ、他者よりも勝者を選ぶことに長けているかの問題なのです。
技術のパラドクスが示すように、ベッティングはゼロサム的な、相対的スキルの勝負へと収束していきます。ベッター同士がある市場で競い合っている場合、本当に重要なスキルは、手元の情報がすでにオッズに反映されているか評価できる能力であり、かつ、それを安定して行えるかということです。
同等のスキルを持つプレイヤーが、ある結果の「真の」確率を正確に反映した価格までオッズを押し上げた(いわゆる「価格発見」プロセス)としたら、どちらが勝つか負けるかは、単純に運の問題となります。ベッティング市場の大部分が効率的である、言い換えれば、ある結果が起きる「本当の」確率を反映している場合、こうした集団の知恵を出し抜ける見込みは、限りなく薄いように思われます。
妥当性ゼロ環境とは
妥当性とは、私たちが原因と考えるものが実際の原因であるかどうか、そして私たちの推測が繰り返し、そうした結論に達するかどうかを示す指標です。冒頭で分析されたスポーツベッターたちは全体的に、その一貫性と妥当性を証明するには至りませんでした。このことは、スポーツベッターが活動するベッティング市場という環境が、規則正しくも予想可能でもなく、運によって支配されているという事実をはっきりと浮かび上がらせます。
大量の運によって技術(原因)と利益(結果)の相関性が断ち切られてしまう環境においては、熟練のプレイヤーがお金を失い、(相対的に)未熟なプレイヤーが利益を上げることもあり得るのです。
ベッティング市場は複雑かつ、その大半はランダム的です。なぜなら、オッズを変動させる情報は、ランダムに市場へ
そうした状況では何が起きるか。それは復習(フィードバック)がほとんど役に立たないということ。フィードバックは計画的訓練を加速させる潤滑油であるため、ベッティング市場でいくらプレイ経験を積んでも、専門技術が養われていく可能性は低いでしょう。ルーレットを練習する場面を想像してみたら、イメージが掴みやすいはずです。
このことは、スポーツベッターが活動するベッティング市場という環境が、規則正しくも予想可能でもなく、運によって支配されているという事実をはっきりと浮かび上がらせます。
同様にベッティングにおいて、スポーツの結果に関する意見の取捨選択の中に潜んでいる「価格発見」プロセスは必然的に、判断と結果の因果関係を確立させるという行為が当てずっぽうに近いことを示しています。ノーベル賞作家のDaniel Kahnemanはその著書「Thinking, Fast & Slow(邦題:ファスト&スロー)」の中で、これを「妥当性ゼロ環境」と表現しています。もちろん、こうした事実によって、現在の勝利が自身の実践の結果であるとする、大半のベッターの認識が変わることはないでしょう。こうした過剰な自信(人々がギャンブルをする理由のひとつ) が、妥当性という幻想の産物であることは言うまでもありません。
ベッティングはいつ技術のゲームになるのか?
そもそも質問が間違っていたのかもしれません。もしかすると、本当に問うべきは、それが技術のゲームかどうかではなく、どの時点で技術のゲームになるのかということなのではないでしょうか。運と技術の両方が求められる反復的なゲームでは、反復を重ねるほど、相対的に技術の貢献度が増していきます。
テニスは、反復性の高いゲームの好例です。53%の確率で1ポイントを獲得できれば、85%の確率で5セットマッチに勝利できるのです。ポーカーはまた別の問題です。配られるカードとディーラーが開くコミュニティカードは、単純に運で決まる上、シングルハンドの勝負では、それらがゲームの展開を大きく左右します。しかし、これがマルチハンドの勝負になると、幸運と不運の割合は相殺され、プレイヤーのブラフ能力や、相手のカードを読むテクニック(反復プレイによって磨けるスキル)が、徐々に顕在化していきます。
仮に週末のPremiershipの10試合のうち、9試合の結果を予想できても、対抗するベッターが10試合すべてを的中させてしまえば、負けとなります。
『 The Signal and the Noise(邦題:シグナル&ノイズ)』の
運と、技術のパラドックスに打ち勝つ
ベッティング市場が、技術の入り込む余地がほどんどない、妥当性ゼロ環境に近いとするなら、私たちベッターはどうすればよいのでしょうか?Michael Mauboussinが提案する3つに、私が独自の解決策を付け足しました。以下がその概要となります。
噛み砕いて言えば、大半のプレイヤーやブックメーカーにとって馴染みのない、予想に役立つ情報が出回っていない市場でベットする
絶対的ではなく、相対的に考える
結果よりも経緯に意識を向ける
運が支配する環境下で勝負する際は、結果そのものではなく、自身の判断プロセスに集中することが大切です。ベッティングで言うなら銀行口座の残高ではなく、予想方法を分析するのです。大量の運によって技術(原因)と利益(結果)の相関性が断ち切られてしまう環境においては、熟練のプレイヤーがお金を失い、(相対的に)未熟なプレイヤーが利益を上げることもあり得るのです。
最終オッズを研究する
ピナクルの最終オッズが、ある結果の「本当の」確率を正確に反映した数値であることは、今や規定の事実と言えます。この最終オッズを自分の力で、継続的に打ち破ることができれば、そのベッターは利益を上げることを大いに期待できるでしょう。ピナクルのマージンを加味してなお、最終オッズを安定して打ち破れるなら、そのベッターは多くのライバルよりも高い技術を有していると考えられます。