ギャンブルの名手から学ぶ

ギャンブルの名手から学ぶ

ギャンブルがペテンに過ぎなかった時代を生きた“タイタニック”Thompson。彼は史上最高のプロポジションギャンブラーの一人とされています。その巧妙なアイデア、個性だけを取っても彼の功績は読むに値するものですが、このデジタル時代の野心的なギャンブラーにとっても、彼が与えてくれる教訓は古びていません。史上最高のギャンブラーの一人について知りたければ、ぜひご一読を。

19世紀末、ミズーリの穏やかな田舎町に生まれ、家のポーチでコインをはじいていたAlvin“タイタニック”Thompson。故郷を離れた彼は、やがて空前絶後のギャンブラーの一人へと成長することになります。

両手利きのゴルファーとして成功した彼ですが、PGAツアーに出場するよりもっと良い金儲けの方法がありました。ポーカーが得意で、サイコロとカードの扱いにかけては達人だったのです。アメリカの至るところを旅した彼の愛車ピアース・アローのトランクには、右手用と左手用のゴルフクラブが入ったバッグとともにボウリングの球、馬蹄、銃、キャッシュの束が積み込まれ、賭け事のできる場を探し求めていました。

ターゲットにしたのは金持ちの有名人か、彼を相手にダイスやポケットビリヤード、ゴルフ、ポーカー、コイン投げ、もしくは異国風で風変わりなプロポジションに挑む愚か者のどちらかでした。

時代が変わっても、ゲームは変わらない

“タイタニック”Thompsonは伝説という言葉でも表現しきれない存在ですが、その成功譚の多くは時とともに変化し、現代の神話と化しています。しかし、最も真偽のほどが疑わしいのはその名前の由来でしょう。タイタニックと呼ばれるようになったのは、あの沈みゆく客船から脱出するため、女性の恰好をしてどうにか生き延びたからだ、と言われたのです。

数学やプロポジションの意味、細部やタイミングへの注意力、身振りを読み取る力によって、誰よりも人の行動上の弱点を理解していた彼は、時代の寵児となりました。

真実を明かせば、タイタニックと呼ばれるようになったきっかけは、彼が悪名をとどろかせたプロポジションベットなのです。ユーモアや巧妙なアイデアがあれば、ベットで優位に立つ方法を、それこそベッティングリソースのあらゆる記事のように面白おかしく、的確に伝えることができるでしょう。

その意味で、タイタニックは時代を先取りしていました。彼は正式な教育を受けていません。実際、読み書きはできませんでした。しかし、彼には生来プロポジションの仕組みに対する理解力が備わっており、実践と研究を通して、自分に有利なオッズになるタイミングをつかむことが、優位に立ち続けるためには肝要だとわかっていたのです。

さらに大きな野心を抱くようになったタイタニックは、コロンビア大学の元数学教授Patrick McAlley1を雇って、ベッティングオッズのメカニズムについての短期講座を受けます。特に関心を持っていたのが、ダイスやポーカー、コイン投げにおける直観に反したベットの確率で、特にサイドベットで大きな利益が得られるとみていました。

KahnemanやTverskyが50年後にノーベル賞を受賞する行動的心理学の分野に、そうとは知らぬまま足を踏み入れかけていたのです。

“タイタニック”――すべての者を沈める男

仲間と数々の賭けを成功させた後、1912年、彼はミズーリ州ジョプリンにいました。この頃の彼は(文字通り)歴史に名を残そうとしていました。Snow Clarksというビリヤード場で、当時の平均年収に等しい金額を稼いだのです。Kevin Cookが著したすばらしい伝記によると、“タイタニック”は外出中に「新しく設置したビリヤード台を跳び越えることができた者には200ドル払う」という掲示を見かけます。

優位に立ち続けるためには自分に勝ち目が出るタイミングをつかむことが肝要だと、“タイタニック”Thompsonは知っていました。

ビリヤードで数フレーム勝てる程度の平均的な人間にとっては、その掲示は非現実的でした。しかしタイタニックは、これを自分の並はずれた知力と身体能力への挑戦ととらえます。その優れた能力で、彼はこのプロポジションの本質をたちまち見抜きました。ビリヤード台を飛び越えることは一見不可能のようですが、違う角度から見れば彼に有利となる可能性を秘めた賭けだったのです。

「俺ならできる」――冷笑する地元民たちに、彼はそう言ってのけました。もし超人的な力でテーブルを飛び越えたとしても、報酬が割に合わないほどの大けがを負うだろうとSnow Clarkと常連客達は思いました。本当に報酬を払うことになるとは考えもしなかったのです。 

成功を疑う人たちに、タイタニックは自分が恥をかいたと思っているふりをして、一旦立ち去りました。そして10分後……近くのモーテルで買ったマットレスを引きずって現れたのです。

彼はビリヤード台を飛び越え、マットレスで落下の衝撃を和らげました。そして200ドルを獲得すると、その呼び名は生涯彼についてまわるようになったのです。タイタニック――「すべての者を沈める男」。Snow Clarkがそう呼んだからです。

タイタニックが好んだギャンブルには、もっと奇妙なものもあります。中にはピーナッツやクルミ、果物をビルの向こうに投げるというのもありました。

彼は酒も煙草もやらず、ギャンブルをやるためだけに生きていました。金儲け以上に、スリルを感じることが重要でした。死んだときに持っていたのは靴下に詰めだ400ドルだけ。ギャンブルのあらゆる面を一心に学ぼうとし続けました。野心あるギャンブラーが教訓とすべきなのは、彼の逸話を楽しみ、独特なスキルを評価することはあっても、彼の欠点を見落としてはならない、ということです。

数学やプロポジションの意味、細部やタイミングへの注意力、身振りを読み取る力によって、誰よりも人の行動上の弱点を理解していた彼は、時代の寵児となりました。

ジョプリンまでの20マイル

彼はほとんどいつも、他のギャンブラーと一緒に過ごしていました。ありふれた(少なくともそう見える)日常の中にプロポジションの機会を見出すことにかけては、達人でした。彼のペテンの中でも最も有名なものの一つは、騙しの技術と入念な準備が重要な面を占めています。

ある日の午後、Beanie BensonとHickory McCulloughという2人のポーカープレイヤーと車で釣りに出かけ、ジョプリンへと戻る道中でのこと。ジョプリンまであと20マイルのところで、新しい道路標識を立てようとしている道路工事作業員の前を通り過ぎました。

次に彼らが釣りへ出かけたとき、タイタニックは二人に飲み物をしきりに勧めました。その帰り道に彼は、この標識は間違っている、町まではもう20マイルもないと言い出します。

「そんなはずはないよ。こういう作業は注意深くやっているはずだ」とBeanieが言いました。

「100ドル賭けたっていい、15マイルもないよ」とタイタニックは言い張ります。

「僕は君が間違ってる方に500ドル賭ける」とBeanieは言い返しました。500ドルと言えば、そこそこ良い仕事でも稼ぐのに1か月以上はかかる金額です。

「僕も間違ってる方に500ドル賭けよう」とHickoryも口をそろえました。

「じゃあ決まりだな」これで賭けの成立です。 

帰りの車中で3人が無言のまま車の走行距離計にくぎ付けになっていると、町までの距離は15マイルもありませんでした。道路管理局に悪態をつきながら二人は支払いをし、二度とタイタニックと賭けはしないと誓いました。

BeanieとHickoryは知る由もないことですが、タイタニックはその標識が立てられるところを初めて見た日、人に金を払ってジョプリンからその標識まで車で連れて行ってもらい、標識を町に近い方に5マイルずらして立て直していたのです。この逸話は、彼のプロポジションを仕立てる才能を見事に表しています。彼のモチベーションは大金を得ることでした。自らの巧みなアイデアと資金によって方法を生み出し、あとはそれを披露する機会を待つだけで良かったのです。その後50年以上にわたって、機会は数多く訪れました。選りすぐりのエピソードをいくつかをご紹介しましょう。

仕組まれたチェッカー勝負

チェッカーのチャンピオンだったLock Renfroが、彼に挑む勇気ある者がいればカンザスで1万ドルを賭けて勝負に応じると宣言しました。それを聞いたタイタニックは、チェッカーの経験は学校に通った期間と同じ程度しかなかったにもかかわらず、挑戦することを決めます。タイタニックはチャンピオンの向かい側に座ると、緊張して体が重くなりました。しかし彼はプレーに時間をかけながら、まるでスポーツをやるときのようにゲームを優勢に進めました。実は天井ののぞき穴からチェスの全米王者Harry Liebermanが見ていて、タイタニックの脚につけたワイヤーを通してアドバイスを送っていたことを、Renfroは知らなかったのです。

幸運な馬蹄

馬蹄投げは、19~20世紀初頭の田舎の文化の中で重要な位置を占めていました。タイタニックは、Frank Jacksonという馬蹄投げの名人が、どんな金額でも誰からの挑戦でも受けると言っているのを聞きつけます。特に馬蹄投げの経験はなかったタイタニックですが、下手投げの動きはボウリングと共通点がありました。車でアイオワ州のデモインへ向かうと、宿泊先のホテルの近くの路地にコートを作り、練習を始めたのです。 

「これは基本的な確率に関する、初歩的でありながらもやや不思議なところのある数学です。もしレパートリーにこれを加えなければ、あなたの今後の人生は、片足しかない人が尻蹴りコンテストに参加するようなものになるでしょう。 Charlie Munger

タイタニックはわざと何度か投げるのを失敗して見せた後、1万ドルを賭けるようJacksonに約束させます。タイタニックはすべての馬蹄を杭にはめてみせますが、Jacksonは1フィートほどの差で届かなかったため、しぶしぶ賭け金を支払いました。Jacksonは知りませんでしたが、タイタニックが何時間も練習を重ねたコートは、杭までの距離が41フィートでした。規定の40フィートよりも1フィート長かったのです。

ピーナッツ投げ

タイタニックが好んだギャンブルには、もっと奇妙なものもあります。中にはピーナッツやクルミ、果物をビルの向こうに投げるというのもありました。結果は当然ながら疑わしいものです。彼がこの勝負を挑んだ相手には、Al Caponeもいました。ほぼ毎回、タイタニックは果物屋に金を払って、十分な重さのある(鉛入りの)果物を渡させ、勝負を成功させていました。猜疑心を抱いたCaponeはレモンを潰すよう主張したため、いつものパターンが通用しなくなりました。しかし、タイタニックは器用に別のレモンとすり替え、ピンチを脱したのです。

時には、こんな言葉でプロポジションが始まることもありました。「あのビルのてっぺんにスイカを乗せてみせるよ」この勝負に勝つには、スイカを手に持って、リフトと非常階段を使って上るだけで良かったのです。

瞬時に「ヘビー級」

French Lickという異国風の名前が付けられたホテルで生活していたとき、タイタニックはポーカー遊びの合間に自信過剰なプロボクサーと出会います。その傲慢さは、彼の餌食となるのに十分でした。互いに新聞紙の上に立った状態で、ボクサーが自分をノックアウトできない方に1千ドル賭けると持ち掛けたのです。ボクサーは、いつも通りやれば楽勝だと思いました。ところがタイタニックは扉の敷居をまたぐ形でスプリングバレーヘラルド紙を敷くと、一旦ボクサーと向かい合って立ちます。しかし新聞紙の上から降りてしまい、扉を閉めるともう一度新聞紙の上に立ったのです。確かに楽な勝負でした。

今も昔も求められる、優位に立つ方法

タイタニックが生まれたとき、アメリカ全土で舗装された道はわずか10マイルしかありませんでした。1970年代、キャリアが終盤に差し掛かる頃にはラスベガスで名を知られつつありましたが、彼が勝負に勝てなくなったのもこの街でした。ギャンブルが人々の娯楽として進化するにつれ、ギャンブラーたちも洗練されていったのです。優位に立つ必要があるのは変わりませんでしたが、その方法は変化していました。

“タイタニック”Thompsonは、ルーマニアの数学者Stefan Mandrelのことを知るのに多くの時間を費やしたと思われます。Mandrelは1970年代、彼の賭け金に対してジャックポットがプラスの期待値を示す状況で、ロールオーバーの宝くじをあらゆる組み合わせで購入した人物です。彼は大金持ちになって引退し、太平洋の島で暮らしました。

タイタニックのモチベーションは大金を得ることでした。自らの巧みなアイデアと資金によって方法を生み出し、あとはそれを披露する機会を待つだけで良かったのです。

1990年代の英国でも、見事な例で優位に立つ方法を示したホールインワン・ギャングがいました。その直観について詳しく知るには、こちらの記事をお読みください。テレビ放映されるゴルフの大会でホールインワンが達成される確率について、独立系のブックメーカーはあまり理解していませんでした。そこを突いた抜け目のないギャンブラーたちがいたのです。ブックメーカーたちは隠れた真の確率よりもはるかに高いオッズを出してしまい、その的外れな行いはしかるべき報いを受けました。

ピナクルは有名なスポーツベッターであるLewis Deyongにインタビューしたところ、バリューを利用し放題だった時代に大いに光が当てられました。注目すべき点を知っていても、時代と方法が変わってしまったとあきらめている方もいるかもしれません。しかし、ベッターが利益を出すチャンスは(利益を出すことが目的ならば)まだ残されています。道路標識を掘り返すといったことではありません。必要なのは最大限の信念と熱心さ、そして何より、自分に有利なオッズになるタイミングを計ることです。必要な心構えをお伝えするのに、有名な投資家Charlie Mungerの言葉以上に適したものはないかもしれません。Warren Buffetの右腕として活躍した人物です。

「これは基本的な確率に関する、初歩的でありながらもやや不思議なところのある数学です。もしあなたのレパートリーにこれを加えなければ、片足しかない人が尻蹴りコンテストに参加するような人生を歩むことになるでしょう」

タイタニックはこれを知っていて、「片足しかない人」を常に探していました。ベッティングの仕組みを理解するか、単なる娯楽と考えるか、どちらかによって、両足を地に付けた人になれるかが決まります。

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