5 8, 2020
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Crapsの歴史

Hazardとカンタベリー物語

北米での人気の高まり

現代のCrapsの父

今日のCraps

Crapsの歴史

Crapsは何世紀にもわたる、幾つもの国々にまたがる魅力的な歴史を持ったゲームです。Crapsが生まれた場所と時代、現在私たちが知るゲームへとどのように変化していったのか、なぜ世界中のカジノで広まったのかを、簡単に見ていきたいと思います。

Hazardとカンタベリー物語

一部の歴史家によれば、Crapsのルーツはローマ時代にまでさかのぼります。当時、兵士は豚の指の骨をキューブ状に削ってサイコロに見立て、裏返した盾に投げ込む動作が入ったゲームをしていたと考えられています。

Crapsの起源は、Hazardとして知られるゲームの初期の形態にあるとされています。

このことがCrapsのルール形成にどの程度影響を及ぼしたかはよく分かっていません。しかし、Crapsでサイコロを投げる過程を表現する際に使用する「骨を転がす」という言い方の由来になっていると信じられています。

より一般的に受け入れられている説では、Crapsはイギリス発祥の同様のサイコロゲームであるHazardから進化したとされます。Hazardは1125年頃、十字軍遠征の時代に、Hazarthという名前の城を包囲するのを待ちながら時間つぶしとして興じるためのゲームとして、Sir William of Tyreと配下の騎士たちによって考案されました。

Crapsと同じように、Hazardでもプレイヤーが交代でキャスターを務め、2つのサイコロを投げ、自分たちがそのラウンドに勝つかどうかに賭ける役割を担いました。HazardがCrapsと非常に似通っているのは、Hazardのラウンドでは、キャスターが指定された目を出し、他人が勝てる目を出すのをうまく回避することによって勝敗が決定されることです。

Hazardは、イギリスの中世の時代において、徐々にその人気を高めていきました。特筆すべきなのは、歴史上で最も象徴的な文学作品とされるGeoffrey Chaucerの『カンタベリー物語』の中に、このゲームが繰り返し登場していることです。17世紀後半から18世紀初頭にかけて出現した最初のイギリスの賭博場で、Hazardは定番としてプレイされ、特に王族や貴族に楽しまれていました。

この頃、Hazardはフランスに伝わり、Crabsとして知られるようになります。この呼び名は、最悪の目である「2」には「Crabs」(蟹、ゾロ目などの意)というニックネームが付いていたことから生まれました。そして約20年後に、Crabsは大西洋を横断し、現在のカナダとメーン州の一部を占めていたフランス植民地、アカディアに伝わったのです。

北米での人気の高まり

1755年、その支配権がフランスからイギリスへと移り、ノヴァスコシアと改名されたアカディア。この地域に住んでいたフランス人(後にケイジャンと呼ばれるようになります)は散り散りになってルイジアナまで南下し、その旅の途中でこのゲームの知識を伝え合いました。この時点で、このゲームはCrebsまたはCrepsと呼ばれていました。

CrebsまたはCrepsは、ミシシッピ川沿いで働く労働者の間で人気を博します。

貴族であり、ギャンブラーのBernard de Marignyが1805年にロンドンからニューオーリンズに到着したことにより、Crebsの人気はさらに後押しされます。Marignyはプレイヤーがサイコロを振って7の目を出すことを条件とする簡略版を開発したのです。彼は7が最も出やすい目だと実感していました。しかし、このゲームはなかなか裁判所の承認を得られなかったため、Marignyはより貧しい労働者階級に目を向けました。

その結果、19世紀にミシシッピ川を移動するボートの上でこのゲームをプレイしていた労働者を中心に、ゲームの知識が広められました。労働者階級のゲームとしての位置づけも手伝って、このゲームはカジノでプレイされるのと同じくらい日常的に、ストリートや路地裏でプレイされる様子が見られました。

このゲームの主要な名前が最終的なCrapsに落ち着いたのは、この時代のことでした。この名前がただ単にCrebsまたはCrabsが変化したものなのか、それとも人々がストリートでプレイするときにする、足を開いてしゃがむ姿からヒキガエルを意味するフランス語のCrapaudをアレンジしたのかについては、今日まで議論が続いています。

現代のCrapsの父

この時点で、すでにCrapsはアメリカのカジノでプレイされる割合が増えていましたが、一部のカジノではハウスエッジを確保するために不正なサイコロを使用し、異なるルールに基づいてプレイされるなど、物議を醸すことがよくありました。

Crapsは第二次世界大戦中、暇つぶしのために兵士によって楽しまれていました。

1907年、「現代のCrapsの父」と呼ばれるJohn H. Winnというサイコロ職人は、この問題を克服するべく、今日まで使用されている代表的な一連のルールを考案します。彼がもたらした革新の中には、Crapsテーブルの洗練されたレイアウトと、プレイヤーが初めてシューターに対して賭けることを可能にした「ドントパスベット」の導入などがありました。

拡充され一貫性のあるこれらのルールは、設定したハウスエッジを保証できるため、すぐにカジノで採用されるようになりました。このことにより、細工を施したサイコロを使用する必要は無くなり、ゲームのネガティブで大雑把なイメージを払拭するきっかけとなりました。

20世紀の間にCrapsは徐々に普及し、第二次世界大戦中にアメリカ兵によって日常的にプレイされたことで、労働者階級を超えてその人気を世界中に広め、アメリカでの人気も高めることになりました。1960年代、ラスベガスとカリブのカジノでは、この人気に乗じてCrapsのテーブルの数が増やされ、中央ヨーロッパ、オーストラリア、アジアのカジノもすぐ後に続きました。

今日のCraps

21世紀に入ってもなお、Crapsはその人気を拡大しており、世界中のカジノで広くプレイされ続けています。プレイヤーがハウスに対して「チームで団結する」ことや、シューターが勝てる目を出せるように応援することを楽しめることから、エネルギッシュで友好的な雰囲気が生み出されるため、変わらぬ人気を博しています。

現在では、多くのCrapsプレイヤーがGolden Armクラブに参加しようとしています。

また、Crapsは大衆文化を広める役割を果たしていることも証明されています。Crapsのゲームはロングランのミュージカル『Guys and Dolls』の主要なプロットポイントとして機能し、1993年の映画『A Bronx Tale』では、登場人物のEddie Mushがこのゲームで12の目を出す前に「赤ちゃんには新しい靴が必要なんだ!」と宣言するシーンがあり、それが広く引用されています。その結果、この「赤ちゃんには新しい靴が必要なんだ!」というフレーズは今日に至るまでCrapsに関連づけられています。

他の多くのカジノゲームと同様に、CrapsはPinnacleカジノなどのオンラインカジノの台頭により、最近その人気を急上昇させています。オンラインカジノにより、複数の異なるゲームとともに、人々はいつでも、どこでも、誰とでもCrapsをプレイできるようになったのです。

Crapsはまた、世界中のプレイヤーを魅了してやまない、多額の賞金が用意されたトーナメントの誕生からも恩恵を受けています。これらのトーナメントとしては、6桁の賞金がさまざまに用意されるWorld Craps Championship (WCC)や、Las Vegas Hilton Crapsトーナメントなどが挙げられます。

最後に、Crapsは、カジノでGolden Armクラブの称号を手に入れることを目指すギャンブラーによっても楽しまれています。これは、シューターとしての役割で1時間以上の間負けずにプレイできたプレイヤーに与えられるタイトルです。最初のメンバーは1989年にCalifornia Hotel and Casinoで、3時間6分の間、7の目を出すことなく118回のロールをこなしたStanley Fujitakeでした。彼はカジノから100万ドルを獲得しました。

この記録は、Patricia DeMauroがアトランティックシティのBorgata Casinoで、4時間18分の間に154回のロールを記録した2009年5月24日まで破られることはありませんでした。

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